そうそう。
1999年12月。
わしは、
トルコで、一生を
過ごすことに
なるであろう~と
覚悟を決めてw
1歳の長男を
連れて
成田を
飛び立ったんでござんす~w
一番最初は。
日本で住もうか、って
言ってたんだけど。
まあ。
いろいろ、考えた結果
やっぱり。
と~ちゃんの職業柄
トルコに住んだ方が
よかんべ~という結論に
達して。
長男は日本で
産んだんだけど。
やっぱり。
トルコに移住することに
決めたんだわさw
イスタンブールをスルーして
ダイレクトに
と~ちゃんの田舎に
乗り込んだ
東京育ちの
ひつじ飼いw
胸には
1歳の赤ん坊を抱えてw
話せるトルコ語は
「メルハバ~」だけww
と~ちゃんとは
英語で話していたので
それまで。
トルコ語は必要なかったわけさ。
辺りが薄暗く
なった頃に
イスタンブールから
12時間以上かけて
と~ちゃんの
実家の「田舎村」に到着。
家の扉は
開け放たれてて
そこに。
仁王立ちの舅がいて。
「メルハバ~」と言った
ひつじ飼いを
じろり、と見て
にこり、ともせずに
「メルハバ。なんちゃらかんちゃら
むにゃららら」
と。
早口のトルコ語を
喋ったような、記憶があるw
まあ。
と~ちゃんという通訳付き
とはいえ。
奴の職業はガイド。
一度、仕事に出ると
一ヶ月とか
帰ってこないわけだよw
インターネットもない。
言葉も通じない。
わけもわからん
村に閉じ込められて。
ひつじ飼いは
気が狂う~…と思いきやw
なんたって。
もともと、神経が図太いもんでw
そんなことでは
へたれないんで、ござんすよw
アタクシw
大体。
わしにゃあ。
守らんといかん
長男がいる。
食べるモノから
健康管理から。
すべては
わしにかかってるわけで。
言葉が通じない、なんて
言ってらんないでしょw
わし。
24時間、辞書を片手に
どこに行くにも
辞書と一緒にw
その日、覚えた言葉は
毎日、ノートに記録して。
必死にトルコ語を
覚えましたよ~w
コミュニケーションが
取れなければ
何もできないのだよ。
人間はw
それと。
トルコ料理をマスターすること。
いつまでも
半人前の扱いを
受けてはおられないからね!
義母さんは。
お年寄り女性に多い
文盲の人で。
わしの辞書を、
本、だと
勘違いしていたらしくw
「あんたは、他人様の家に
お客に行っても
本ばかり読んでて、誰とも
会話をしようとしないなんて
失礼でしょ!」
という
ニュアンスでw
よく、怒ってたのだけどw
わし、何で怒られてるのか
わからんかったしw
理由も聞けなかったし
説明もできなかったんだ~。当時はw
まあ。
今となっては
笑い話だけどさ。
そんで。
残りの時間は、全部
長男と一緒に
過ごした。
くじけそうになったり。
つらくなったりしたら。
長男と遊んで
心をリセットする。
そんな毎日を
過ごしておりやした~。
言葉と料理
だけじゃなくて。
田舎の仕事も
覚えんといかんw
巻き割りも、
手洗いの洗濯も(当時、全自動洗濯機が、この家にはなかったw)
水汲みも
鶏やアヒルの世話も
何から何まで
見よう見真似で
何でも
挑戦しやしたぜ~w
失敗して、もともと。
できなくたって、当たり前。
でも。
いつまでも、そのままじゃ
通じない。
ガイジン嫁だって。
同じ人間なんだから。
日本人の誇りにかけて!
絶対できるように、なってやる~!!
って。
超負けず嫌いのムシが
てんぱってましたぜw毎日ww
天上から
ムシが落ちて来たってw
一度停電すると
3日くらい、電気が来なくたってw
断水で
近所の水汲み場まで
何往復も
水汲みに行ったって
冬の朝
凍えながら
雪にまみれつつ
石炭ストーブの
灰を捨てに行かなきゃ
いけなかったって
絶対に、逃げ出したり
しないぞ~!!
と誓ってw
わし。田舎村で、
約7年
住んだんよwほほほw
あの頃は、
ある意味。
毎日が
義母との格闘の日々
だったな~。
本日もお付き合いいただいて
ありがとうございます。
ぽちっと応援
よろしくお願いします♪
コメント