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お次は、シャンリウルファ、ハランへ。

今回は、またまた
旅行記の続き!

前回。
ガジアンテップの

甥っ子君の家に
お泊りさせて、いただいた

あっしと
と~ちゃん。

何か。
朝、起きたら

体中が、何となく
ギクシャク??しておって(爆)

若いとはいえ。
よく、こんなベットで

寝てるな~…と
おもいきや。

まあ。そういえば。
若い頃なんか

床とかに
ごろごろ、

雑魚寝してたって
体とか、痛くならなかったよな~…と

一人、押し寄せる
年の波、を実感して
思わず、黙る(爆)

まあ。
当主の甥っ子君は

あっしらが
家を出る時にも

まだ、大口あけて
ソファの上で

ぐお~~~っと
イビキかいて、おったので。

とりあえず
起こさないように

二人で、そ~…と
家を抜け出て。

近所のパン屋さんで
軽く、朝ご飯を済ませて。

本日は、
ガジアンテップから

約150キロ離れた
シャンルウルファへ
移動の日。

早速、車を
スタートさせて、いざ、出発!

この辺り、
東南部の街は

例えば、
ガジアンテップ、とか。

シャンルウルファとか。
カフラマンマラシュ、とか。

街の名前の前に
「誉め言葉」が冠詞のように
ついてるんすけど。

ガズィ・アンテップは。
もともと、アンテップって
名前の街、だったけど。

独立戦争の時に
勇敢にたたかったので

アンテップの前に
「ガズィ」(戦争を勝ち抜いた、名誉戦士という意味)が
ついてるし。

ウルファも、
同じ理由で

シャンル(栄誉ある)と言う
言葉がついた。

マラシュは、
カフラマン(英雄)という
称号をいただいた、っていう。

そんな、シャンルウルファまでは
高速道路で、1時間半。

辺りは、一面
ピスタチオの畑、が
広がっておりやした。

ガジアンテップは
ピスタチオが、有名な街で。

世界3位の産出量を
誇るそうっす。

で。まあ。
延々続く

ピスタチオ畑を
横目で見つつ~。

ぼちぼち、走ると。
シャンルウルファに
無事、到着~。

本来、あっしの
目的は

「ギョベクリテぺ」という
遺跡訪問、なのだけど。

その手前に。
「ハラン」という

昔の、ウルファの
住居が

残ってる地区が
あるから

折角だから
そこも見て行こ~

ってことになって。
まずは、ハランに
立ち寄ることに。

シャンルウルファって。
シリアとの、国境沿いの街で。

夏は。
それは、それは
暑いわけ、よね。

40度とか。
軽く超える日も、
あったりしやす。

なんで。
昔の人は、

イロイロ、工夫して
住んでたんよね~。

で。ハラン。
古代には

周囲をぐるり、と
水路で囲まれた

「ハッラーン」と呼ばれた
とても美しい
街だったそうで。
20241214_112304

記録に、最初に
この街の名前が出てくるのは

なんと。
紀元前2000年頃に
作られた

楔形文字の
粘土板、だそうで。

そこには。
「ハラーン」と
記載されてるんだそうで。

意味としては。
シュメール語で

「旅」とか「隊商」とか
を表す

「ハラーヌ」という言葉から
派生した名前らしい、とか。

ロケーション的に
太古から

交易の地、として
栄えたんだそうだ。
20241214_113109

当時は、
ハラン学校が、ここにあって。

中東世界では
「最古の大学」とも
呼ばれたらしい。
20241214_113359

今も、一部。
復元された遺跡、が
残っておりやす。

ハランの丘、とも
呼ばれるこの辺りは

一面、高台
なんすけどね。

この辺から、下に
ず~~~っと

ハランの、伝統スタイルの
アリ塚みたいな

おもろい形した
家が、見えるのだ。
20241214_113543

次は、
この家を見学に
行きました~!

続く。

本日もお付き合いいただいて
ありがとうございます。

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